2009年2月4日水曜日

旧世界に足を踏み入れる

 1997年、僕のワインとの付き合いに大きな転機が訪れました。
 ある出版社が旅行雑誌を創刊することになり、僕はフリーのブレインとして招かれました。会議に出て、新雑誌の方向性について外部スタッフなりの意見を述べたり、企画を練ったりするのです。ある日の会議で僕は、創刊号の目玉としてイタリアワイン紀行をやってはどうかと提案しました。90年代に入ってからファッションや食を中心にしたイタリアブームが猛威を振るっていましたが、97年あたりはその絶頂といっていい時期でした。一方で、ワインの世界では95年くらいから始まった第5次ワインブームの真っ只中。「イタリア&ワイン」という強力タッグの企画が通らぬはずがありません。提案はまんまと承認され、僕は収穫期のイタリアへ2週間ほどの取材旅行に出ることになりました。
 取材はバローロ、バルバレスコで有名なピエモンテ州とキャンティで知られるトスカーナ州に絞って行いました。14のカンティーナ(醸造所)を訪ねた他、レストランやワインバー、チーズ工場、ワイン評論家などワインに関するさまざまなところと人を取材しました。ピエモンテの「農家のワイン」とトスカーナの「貴族のワイン」という対比が面白く、また、収穫されたぶどうの果汁で紫色に染まった道路など、忘れ得ぬ風景にたくさん出会いました。アンジェロ・ガヤ、ピエロ・アンティノーリといったイタリアワイン近代化の立役者に会って直接話を聞くことができたのも大きな経験になりました。
 とはいえ、それまでアメリカワインを少々囓った程度だった僕のことです。いわゆる旧世界のワインに関する知識はゼロに等しく、現地へ旅立つ前は「こんなことでちゃんとした取材ができるのか?」と、ものすごいプレッシャーを感じました。とにかく、当時数冊しかなかったイタリアワインの関連本を手に入れて読み、にわか勉強しましたが、いくら文字で詰め込んでも、なかなか身に付くものではありません。それでも、W・H・オーデンの詩「見る前に跳べ(Leap before you look)」ではありませんが、案ずるより産むが易し、現地に乗り込んで数日のうちにイタリアワインの本質が体に染み渡っていくようだったのです。
 60ページくらいの大特集にするつもりで取材したイタリアワイン紀行でしたが、創刊するはずだった雑誌が出版社の事情で企画ごとお蔵入りになってしまいました。それを知ったときはショックで腰が抜けそうでしたが、幸いにも、別の出版社の雑誌が丸ごと拾ってくれることになり、ページ数は半分ほどに圧縮されましたが、とにかく日の目を見ることになりました。
 この記事(「ペン」1998年6月号)の制作中に知り合ったのが、東京・原宿のワインバー、AZの店主Hさんでした。AZはイタリアワイン専門のワインバーで、カウンターとテーブル席を併せて14、15人が限界という小さな店です。Hさんのマニアックなワイン選びは玄人筋の間で有名だったらしく、イタリアン・レストランのシェフやイタリアワインのインポーターといった面々が夜な夜な出入りしていました。現地取材ですっかりイタリアワイン贔屓になっていた僕は、一時期あれほど入り浸っていたバー目黒川やカリフォルニアワインにくるりと背を向け、AZを新たなる“愛の館”と決めて足繁く通い始めたのでした。

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