2009年2月18日水曜日

「一粒で三度おいしい」

 その昔、誰もが知っていたアーモンドチョコレートの広告コピーは「一粒で二度おいしい」でしたが、ワインに関しては二度どころか三度、ことによると四度、五度とおいしいことがあります。これこそはワインが生き物だと言われる証拠であり、他の嗜好品にはないワインの大きな魅力です。僕がワインをあたかも人であるかのように扱って「友だち」だなどと表現する理由もそこにあると言えるかもしれません。
 ワインは一瓶で何度もおいしい。
 この言葉が意味するところは、ワインという飲み物は、栓を開けてすぐと少し時間が経ってからでは味も香りも変化することがあり、その変化がまたワインの魅力だということです。ワインは白でも赤でも発泡でも、一度抜栓されて空気に触れると、その瞬間から酸化し始めます。たいていのワインは、開けたては固く閉じているのが、時間とともに少しずつ開いていき、香りも味わいも増して、やがてピークを迎え、また次第に魅力を失っていくという経過を辿ります。このピークに至る時間はワインによってまちまちで、抜栓後30分というものもあれば、数日かかるものもあり、それが事前にはわからないのが、ワイン飲みの楽しみであり、同時にリスクだとも言えるのです。
「閉じているものが次第に開く」とか「やがてピークを迎える」などというと、あたかもピークまで待って一気に飲めと言っているように聞こえるかもしれませんが、そうではありません。飲み手を感動させる良いワインというものは、ピークで素晴らしいのはもちろん、開けたてにも固いながらに魅力があり、ピークを過ぎた後でさえわれわれの心をとらえる趣があるものです。この点は、もともと日本料理における「はしり・さかり・なごり」を楽しむセンスを持っているわれわれには理解しやすいことではないでしょうか。

(本稿はここでいったん非公開にします。ここから先は、本になってから読んでください。ご愛読に感謝!)

2009年2月12日木曜日

少しずつでも毎日

(ここから第2章)
 この章では、僕がこれまでワインを飲むことで培ってきた、ワインと良き友だちになるための具体的な方法についてお話ししたいと思います。
 前にも述べたとおり、この本では日本人のライフスタイルに合った、ワインの新しい飲み方を提案したいと考えています。従来の常識に反することもお勧めすることになると思いますが、すべては「ワインの民主化」を推進するための試み。「革命」にはそれなりの実験精神が必要と、心を開き、腹を据えて取りかかっていただきたいと思います。

 互いに親しみが湧くようになるためには、できるだけ頻繁に会って一緒に時を過ごし、話を交わしたいものです。それは相手が人であれ、ワインであれ同じこと。理想は、毎日少しずつでもいいからワインと接するようにすることです。それがワインという飲み物の特性とも合致した方法であることは後で述べます。
 まずは、どこでワインを飲むか? これについては家で飲む、すなわち「家飲み」が基本ということで行きたいと思います。家飲みにはさまざまな利点があります。自分の好きな時間に、好きなだけ、好きなスタイルで、主体的に飲めるということ。外で飲むよりも経済的で持続可能性が高いということ。酔っぱらってつぶれてしまっても、他人に迷惑をかけたりわが身に危険が及んだりしないということ(これは半分冗談)。

 では、一日の生活のなかで、どの時間帯にワインを飲めばいいのか? これはもちろんその人のライフスタイルによって違ってくるでしょう。さすがに朝からワインという人はいないでしょうが、午後の時間帯でも夕食前でも夜更けでも、要はゆったりとした気分でワインと付き合える時間ならいいのです。
 僕自身は夕食後にその時間を取るようにしています。
「ワインは食事とともに楽しむものじゃないのか?」
 という声が聞こえてきそうです。たいていのエキスパートたちは、それがあたかも金科玉条のごとく、「ワインは本来食事とともに飲むべきものだ」と言います。僕もそれは真実だと思います。言い方を換えれば、「良いワインというのは食事をさらにおいしくするワインのことである」ということ。その通りだと思います。が、ここで僕はあえて異論を唱えたいと思います。
 ワインとの語らいは食事抜きでやってはどうか?
 食事とワインを合わせることをマリアージュ(結婚)といいます。このマリアージュがピタリとハマった時の食卓は本当に素晴らしいものです。しかし、よほどの感覚と経験を備えていないかぎり、毎日の食事でヒットを連発することはできません。日本の家庭でポピュラーな献立を考えても、餃子、カレーライス、煮物、キムチ、納豆、みそ汁、鍋物などプロのソムリエでも合わせるワインを選ぶのに冷や汗をかきそうな料理が並びます。おまけに数種類の総菜が一度に食卓に並ぶとしたら、「コレ一本で大丈夫」というワインを捜すのはもはや神をも畏れぬ業と言わねばなりません。ことほどさように、「ワインは食事とともに」がわれわれの手足を縛り、がんじがらめにしているのです。
 ひとまず、ワインとの付き合いは食事抜きにしてはどうかと僕が提案するゆえんです。
 僕自身のパターンを参考までにお話ししましょう。夕食を食べるときには、季節と料理と気分に合わせてさまざまな飲み物を楽しみます。ビールのときもあれば焼酎のお湯割りのときもあります。日本酒も大好きです。ワインももちろん頻繁に登場しますが、たいていは前日の飲み残しか過去に何度も飲んで知り尽くしているワインです。食事中に飲むワインと予期せぬ会話を楽しむこともありますが、それはあくまでも嬉しい誤算というやつです。本腰を入れてワインと付き合う時間はあくまでも別に取ります。食事が済んだら軽く歯を磨きます。これはわが友、ワインに対するマナーのつもりです。夕食の味が口に残っていると、ワインの味や香りに影響があるでしょう。歯磨きペーストは使いません。あの刺激は嗅覚・味覚を狂わせます。同じ理由で食後のデザートも避けるようにしています。お菓子の甘さで舌先が麻痺してしまっては、せっかくのワインの甘みを存分に味わうことはできません。どうしても甘い物が食べたいときは、ワインとの語らいの最後に甘口ワインとともに楽しむようにしています。これはこれでまた人生を豊かにしてくれる奥の深い世界です。

2009年2月9日月曜日

いよいよ、残された“禁断の園”へ

 この時期、僕は家でもよくワインを飲むようになっていました。どこの産地の、なんという銘柄を飲んでいたのか、残念ながら覚えていません。イタリア取材を機に、飲んだワインはラベルを剥がし、専用シートにコメントを添えてファイリングするということを始めたのですが、長くは続かず、ファイルもいつしかどこかに無くしてしまいました。ただひとつわかっているのは、フランスワインにはほとんど手を出していなかったということです。すでにかなりワインに親しんでいたとはいえ、フランスワインに対してはまだ敷居の高さを感じていました。敷居だけでなく、価格的にもフランスワインは高いという思い込みもありました。また、いま思うと恥ずかしいのですが、5度ばかりの渡伊でいっぱしの“イタリアかぶれ”になったつもりでいたので、ワインに限らずフランスものには敵対心を持っていたのです。
 フランスワインを長らく「未踏の地」としていたことはもったいなくもありますが、一方では、それはそれで幸運だったとも思います。世界中のワインを味わい尽くすには人生は短すぎます。もっと早くからフランスワインの森へと分け入っていたら、という悔恨の思いはあります。ただ、あの時期に安易な気持ちでフランスワインにまでフィールドを広げていたら、イタリアワインとの付き合いも中途半端のままで、イタリアかフランスかどっちつかずの浅薄な飲み方になってしまっていたと思うのです。ワインを体系的に覚えていくという意味では、ある時期イタリアワインを集中的・継続的に飲んでからフランスワインの世界へと移行したのは得策だったと思います。もちろん最初から意図してそうしたわけではありませんでしたが。

 フランスワインへの道が開けたのも仕事がきっかけでした。知り合いのカメラマンがボルドー取材のライター役として僕を誘ってくれたのです。2005年の収穫期、連日続くからりとした晴天の下、僕らはボルドー各地のぶどう畑や醸造所をめぐりました。収穫の摘み手たちに交じってランチを食べたり、醸造所のステンレス発酵槽のなかで酵母がぶどうの糖分をむさぼり食う音に耳を傾けたりしました。最初にイタリアワインを取材した97年は世紀のグレート・ヴィンテージと言われましたが、2005年もボルドーにとっては20年に一度と言われる良作年だったようで、こうなると僕の「晴れ男」ぶりもなかなかのものです。
 ボルドーからは持てるだけたくさんのワインを持ち帰りました。その他にも現地のワインショップでセレクトしてもらったワインを20本ほど別送しました。ほとんどは日本でも捜せば見つかりそうなものばかりでしたが、現地で出会ったという「直接感」は重要で、わが家のテーブルにそれらのボトルを並べたときの愛おしさは格別でした。
 それからの数ヵ月は文字通りボルドー・レッドに染まるほど毎日毎日ボルドーを飲みました(白ワインも何本かあったので、正確にはレッドにホワイトを混ぜたロゼ色に染まったと言うべきかもしれません)。イタリアワインに感じる詩情や哀切をオペラに喩えるなら、ボルドーワインの魅力はシンフォニーでしょうか。フルーツの奥に確かな土の存在を感じさせるプリミティブで包容力のある匂い。舌の味蕾の感受性を総動員して受け止めたくなるような複雑精妙な味わい。そして視覚を通してまで酔わされてしまいそうな妖艶な色合い。「墓場に近き老いらくの恋は怖るるなにもなし」の年齢にはまだ相当間がありますが、心境的にはそれに近いものがあったかもしれません。
 ボルドーが名実共に世界最高のワイン産地であることに議論の余地はないでしょう。その生産量も世界トップクラスです。ボルドーには約8000軒の元詰め業者があり、毎年世に出される銘柄の数は数万ラベルに上ります。ボルドーは深く、濃く、果てしない森のようなもので、とても一人で歩き尽くせるものではありません。それでも、しかるべき「地図」と「方位磁石」さえ持っていれば、この森に分け入ることはできる、というのが自分の経験から僕が確信したことでした。「地図」とは、格付けや原産地呼称(アペラシオン)といった法的な決まり事で、それの載ったパンフレットでも持っていれば事足ります。一方、「方位磁石」とは、主要品種に関する基礎的な知識と“飲み慣れ”ということになるでしょう。ボルドーの主要品種は、赤ならカベルネ・ソーヴィニヨンとメルロ、白ならソーヴィニヨン・ブランとセミヨンです。それらの品種は、ボルドーを出て世界中に広まっており、僕が最初に熱中したカリフォルニアワインにもすべて揃っていました。“飲み慣れ”というのは、ただたくさんのワインが飲めるということではなく、ある程度意識を持ってワインを味わった経験があるということを指しています。幾度かのワイナリー取材と数年にわたる家飲みによって、僕は知らず知らずのうちにテイスティングのトレーニングを積んでいました。
 そうしてボルドーという森をなんとか歩けることがわかると自信が付いてきました。その自信がさらなる探検欲を引き出し、他のワイン産地も踏査してみたいと僕に思わせたのは自然な流れだったと思います。
 ボルドーに比肩するもう一方の雄、ブルゴーニュを始め、コート・デュ・ローヌ、ロワール、アルザス、ラングドック、プロヴァンスと、フランス国内だけでもボルドーと飲み比べてみたい産地が綺羅星のごとく待ち受けていました。ひとたび自分のなかでフランスワインを解禁した途端に、おかしなもので、次から次に産地取材や試飲会の誘いが舞い込むようになりました。「禁断の園」への扉の鍵を外してなかに入り、そこで思いのままに遊ぶようになると、もはや自分のなかにタブーなどありません。スペイン・バルを開きたいという友人とつるんで何度もスペインワインの試飲会をしました。ニュージーランドやオーストラリア、チリは取材のチャンスに恵まれました。取材で知り合ったワインバーのソムリエに「冷涼地のワインがいい」と聞けば、ドイツやオーストリアのワインを試し……と、出会いの場は一気に世界中に広がったのでした。

 冒頭でも述べたように、僕はいまほぼ毎日ワインを飲んでいます。もうこの頃はどこかひとつの産地に絞り込んで「偏愛」的に飲むということはありません。一昨日はフランス・アルザスの白にイタリア・ヴェネトの赤、昨日はボルドーの蔵出し古酒、今日は昨日のボルドーの残りと甲州種でできた国産の白ワインといった具合です。こうして並べると、ずいぶん豪華なラインナップに見えるかもしれませんが、ワインはすべて2000円台の求めやすいものばかりです。ワインと親密になってからは、家にいても、毎日が旅のようです。グラスを傾けるたびごとに新たな発見があり、感興があります。
 何かを毎日続けることの効用は、次第に無駄が省かれて合理的なシステムが残ることです。それは、肥えた人が運動を続け、贅肉を減らして心身ともにスッキリするのと似ています。僕の場合、毎日ワインを飲み続けることで、ワインと上手に付き合うための合理的ないシステム(=方法論)ができてきた気がしています。次章ではそれをご紹介したいと思います。

2009年2月8日日曜日

Hさんに教わったこと

 Hさんは元々フランス料理の修業をするためにヨーロッパに渡ったけれど、途中に立ち寄ったイタリアで、かの地のワインと宿命の恋に落ちて、その後の人生の進路を変えてしまったという経歴の持ち主です。AZのカウンターには常時15本くらいは赤ワインが並んでいます。客の側から見て左にいくほど手頃な価格のワイン、右にいくほど値の張るワイン。さらに客からは見えないカウンター下のクーラーにスプマンテ(発泡ワイン)と白ワインが何本かあって、それらの大半がグラスで楽しめるというシステムです。Hさんは料理やデザートもなかなかの腕前なのですが、例によって経済的に余裕のなかった僕は、食事は余所で済ませてから入店し、塩漬けオリーブやチーズといったつまみを摂るにとどめて、なるべくたくさんのワインを飲むようにしました。
 飲むほどにイタリアワインの懐の深さが僕を魅了していきました。カリフォルニアのワインが太陽と大地の恵み、輝くバイタリティを感じさせるとしたら、イタリアのワインから感じるのは詩情や哀切、まだ実現されたことのない完全なる精神といったところでしょうか? もちろんHさんのセレクトが優れていたということもあったと思います。イタリアには4万軒以上のワインメーカーがあって、毎年20万もの銘柄が造り出されるといいます。ただ闇雲に手にとって飲んでいたのでは、イタリアワインという大海原で溺れてしまっていたことでしょう。
 Hさんからは多くのことを教わりましたが、なかでもその後の僕のワインとの付き合いに決定的な影響を与えたのは、飲み残したワインの扱いについてでした。よくバーやレストランでグラスワインを注いだ後のボトルの口に専用の道具を押し当てシュカシュカとやってなかの空気を抜いているのを見かけますが、Hさんは抜栓したコルクを無造作に元に戻すだけ。その場だけそうするのではなく、翌日に持ち越す飲み残しのワインでも同じことをするのです。気になって「ワインが酸化するんじゃないですか?」と訊くと、
「酸化させているんですよ」
 と平然として答えます。ちゃんと造られたワインというものは開けてすぐに死んでしまうほどヤワじゃない。わざと酸素に触れさせ、酸化させることによって、時間経過による味わいの変化を楽しむのが正しいワインの楽しみ方なのだ、というのがHさんの説明でした。こういうことは理屈ではありません。Hさんはときどき抜栓後4日も5日経ったワインを平気で出してきましたが、それらは開けたてとは別物の、しかしそれ以上の魅力を湛えていることがありました。そんなとき、Hさんはしたり顔でこんなふうに言ったものです。
「いやあ、2日目にひどい味になって、3日目もぜんぜんダメで、もう捨ててしまおうかと思ったけど、4日目にいきなりグワッと上がってきたんだよね」
 この「Hさん理論」に触れて思い出すエピソードが先述のイタリアワイン紀行の取材中と取材後にありました。
 まずは取材中の話から。トスカーナ南部、モンタルチーノという銘醸地にジャンフランコ・ソルデーラという造り手を訪ねたときのことです。彼の手がけるブルネッロ・ディ・モンタルチーノ“ソルデーラ”は市場に出る前にオークションにかけられるほどの名品。そのこだわりの仕事ぶりは、ちょっとした伝説になっています。ソルデーラ氏へのインタビューのなかで「良いワインとは?」という質問をぶつけたとき、彼はこう言いました。
「今夜飲むワインのグラスを洗わずにとっておきなさい。明日の朝、そのグラスに鼻を突っ込んで匂いを嗅いでみて、グラスの底に残ったワインの雫から不快な匂いがしたら、そのワインは二度と飲まないほうがいい。朝になっても快い香りがしたら、それこそは良いワインだよ」
 取材後、原稿をまとめる段になって、ある輸入代理店から1本のイタリアワインが送られてきました。ぜひ特集のなかで紹介してほしいというのです。それはシーザーに愛され“ワインの王”と称されるバローロの、特級畑で穫れたぶどうのみを使った高級品でした。ヴィンテージは93年。まずまずの良年です。長期熟成に耐えて真価を発揮するバローロの飲みごろはまだまだ先のはずで、開けてしまうのが罪なことはわかっていましたが、飲んでみないことにはコメントも書けません。ある夜、仕事部屋で栓を抜き、歓喜のうちに飲み干してしまいました。先にも述べたように僕の酒量はせいぜい十人並みで、ワインをボトル1本というのは明らかに飲み過ぎです。ところが、そのバローロは難なくボトルをカラにできただけでなく、翌朝目覚めたときにも気分は晴々、鼻腔の奥にはいまだに芳しいブーケが残っているほどだったのです。さらに驚いたのは朝食を終えて仕事部屋に入ったとき、そこがなおもうっとりするような香気に満ちていることでした。

 イタリアワインは僕にワインという飲み物が持つ底知れぬ生命力を教えてくれました。
 例のワイン紀行取材のあとも、2000年、2003年と、イタリア取材に出かける機会に恵まれ、ワインに関する知識もそれなりに深まりました。

2009年2月4日水曜日

旧世界に足を踏み入れる

 1997年、僕のワインとの付き合いに大きな転機が訪れました。
 ある出版社が旅行雑誌を創刊することになり、僕はフリーのブレインとして招かれました。会議に出て、新雑誌の方向性について外部スタッフなりの意見を述べたり、企画を練ったりするのです。ある日の会議で僕は、創刊号の目玉としてイタリアワイン紀行をやってはどうかと提案しました。90年代に入ってからファッションや食を中心にしたイタリアブームが猛威を振るっていましたが、97年あたりはその絶頂といっていい時期でした。一方で、ワインの世界では95年くらいから始まった第5次ワインブームの真っ只中。「イタリア&ワイン」という強力タッグの企画が通らぬはずがありません。提案はまんまと承認され、僕は収穫期のイタリアへ2週間ほどの取材旅行に出ることになりました。
 取材はバローロ、バルバレスコで有名なピエモンテ州とキャンティで知られるトスカーナ州に絞って行いました。14のカンティーナ(醸造所)を訪ねた他、レストランやワインバー、チーズ工場、ワイン評論家などワインに関するさまざまなところと人を取材しました。ピエモンテの「農家のワイン」とトスカーナの「貴族のワイン」という対比が面白く、また、収穫されたぶどうの果汁で紫色に染まった道路など、忘れ得ぬ風景にたくさん出会いました。アンジェロ・ガヤ、ピエロ・アンティノーリといったイタリアワイン近代化の立役者に会って直接話を聞くことができたのも大きな経験になりました。
 とはいえ、それまでアメリカワインを少々囓った程度だった僕のことです。いわゆる旧世界のワインに関する知識はゼロに等しく、現地へ旅立つ前は「こんなことでちゃんとした取材ができるのか?」と、ものすごいプレッシャーを感じました。とにかく、当時数冊しかなかったイタリアワインの関連本を手に入れて読み、にわか勉強しましたが、いくら文字で詰め込んでも、なかなか身に付くものではありません。それでも、W・H・オーデンの詩「見る前に跳べ(Leap before you look)」ではありませんが、案ずるより産むが易し、現地に乗り込んで数日のうちにイタリアワインの本質が体に染み渡っていくようだったのです。
 60ページくらいの大特集にするつもりで取材したイタリアワイン紀行でしたが、創刊するはずだった雑誌が出版社の事情で企画ごとお蔵入りになってしまいました。それを知ったときはショックで腰が抜けそうでしたが、幸いにも、別の出版社の雑誌が丸ごと拾ってくれることになり、ページ数は半分ほどに圧縮されましたが、とにかく日の目を見ることになりました。
 この記事(「ペン」1998年6月号)の制作中に知り合ったのが、東京・原宿のワインバー、AZの店主Hさんでした。AZはイタリアワイン専門のワインバーで、カウンターとテーブル席を併せて14、15人が限界という小さな店です。Hさんのマニアックなワイン選びは玄人筋の間で有名だったらしく、イタリアン・レストランのシェフやイタリアワインのインポーターといった面々が夜な夜な出入りしていました。現地取材ですっかりイタリアワイン贔屓になっていた僕は、一時期あれほど入り浸っていたバー目黒川やカリフォルニアワインにくるりと背を向け、AZを新たなる“愛の館”と決めて足繁く通い始めたのでした。

2009年2月1日日曜日

「ワインには2種類しかないんだよ」

 さらに時間を遡って、いまから20年くらい前の小さなエピソードをお話ししたいと思います。その頃25、26歳だった僕は、とある月刊誌の編集スタッフをしていました。ワープロ、ファックス、留守番電話は普及していましたが、パソコンも携帯電話もまだなかった時代です。あの頃は雑誌の世界にも勢いがありました。ユニークな企画が誌面に踊り、ライバル誌同志が毎号売り上げ部数を競って火花を散らしていました。編集部には「この人はいったい何ものだろう?」と思わず目を奪われるような奇人変人、本物かペテン師か見分けの付かない事情通、得体の知れぬ有象無象が昼夜を問わず出入りして、いつもざわざわがやがやと賑やかで、いかにも面白いことが醸成されそうな雰囲気が漂っていたものです。
 当時僕が担当していたページに『東京ナイトクラブ』という連載がありました。某大手酒類メーカーがスポンサーをして、カクテルの魅力を紹介するという企画だったのですが、実際のところは、グラフィック・デザイナーで無類の酒好きの0さんをリーダーとした4、5人の飲み仲間が都内のバーをめぐり、四方山話に花を咲かせる、その様子を面白おかしく誌面に載っけるというものでした。主力メンバーの平均年齢は40代後半。まだ駆け出しの編集者だった僕は取材費という名の飲み代が入った財布を抱えて、大酒飲みたちの後をついてまわるという、Oさんたちにとってはなんとも都合のいい存在でした。
 カクテル紹介が目的のはずの取材は、いつも居酒屋から始まりました。1時間ほどビールや日本酒を飲み、腹ごしらえをしてからようやく1軒目のバーへ。しかし、ここでOさんが注文するのはカクテルではなくワイン。僕を含めて5、6人いるわけですからボトル2〜3本はすぐに空いてしまいます。2軒目のバー、つまりこの日3軒目の店に移る頃には、みんなもうかなり酔っぱらっていました。いったい一晩でいくらの飲み代を払ったことか。しかもその代金を経費として堂々と精算していたのですから、いまの世の中からは想像もできないような呑気でバブリーな時代でした。
 そんな放蕩取材が終わったある夜更けの帰り道、僕はメンバーのひとり、Aさんとタクシーに乗っていました。Aさんは広告関係の写真でいくつもの賞を獲っている名うての写真家です。20歳以上も年の離れたオジサンと後部座席に並んで、はて何を話したらいいものかと僕は困ってしまいました。共通の話題といえばお酒のことくらいしか頭に浮かびません。僕は気まずい沈黙を避けるためだけに、何気なく、こんなふうに切り出しました。
「ワインって、香りや味の表現とか、いろいろと難しいですね」
 隣で腕組みをしていたAさんが顔をこちらに向けました。その動作に、ただならぬ意志のようなものが込められているような気がして、僕は少したじろぎました。何かまずいことを言ったのだろうか?
「あのね、浮田クン、決して難しくはないよ。ワインには2種類しかないんだ」
 とっさに僕の頭に浮かんだのは、赤ワインと白ワインの2種類ということでした。でも、それではなんだかピンと来ません。僕の反応をゆっくりと確かめてから、Aさんは言葉を補いました。
「おいしいワインと不味いワインだよ」
 
 それは衝撃的な一言でした。目から鱗というのか、コロンブスの卵というべきか、Aさんの、おそらくは数限りないワイン体験の果てに導き出したであろう箴言に触れ、ついさっきまで近寄りがたかったり、よそよそしかったりしたワインという飲み物が一瞬にして身近な存在になったような気がしました。あれから20年以上の月日が経ち、ずいぶんたくさんワインについての言葉に出会いましたが、あれ以上に端的で真理を衝いた表現にはまだ出会えていない気がします。
 ワインには、おいしいワインと不味いワインの2種類しかない。

『東京ナイトクラブ』の放蕩取材で、もうひとつ悟ったことがあります。それは、おいしいワインというのは何本目に飲んでもおいしいということ。僕の酒量はいまだに大したことがなく「関脇級」と自己評価していますが、当時はいまより下戸で、せいぜい前頭の下の方だったと思います。当然、大酒飲みたちに交じって飲むと真っ先に酔っぱらってしまい、途中で舟を漕ぎ出すこともしばしばでした。そうなると、せっかく高いお酒を何種類も飲ませてもらっても、もはや違いさえわかりません。じつにもったいない話です。ところが、本当においしいワインだけは、どんな順番で、何本目に出てきても、香りを嗅いだ途端にハッと目が覚めてガバッと起きあがってしまうということが何度かわが身に起こったのです。確か19世紀のイギリス人作家P.G.ハマトンが『知的生活』という本のなかで、ワインを飲む人は他の酒を飲む人よりも鋭敏で活発な頭脳を持っているというようなことを書いていたと思いますが、少なくともよいワインについてはハマトンの言うような作用があるのかもしれません。