ワインとの付き合いのスタートがカリフォルニアワインだったことは幸運でした。もし最初の「お相手」がフランスワインやイタリアワインだったら、歴史の古さ、産地や種類のあまりの多さ、味わいの複雑さに閉口してしまって、たじろいでしまっていたと思います。
当時、カリフォルニアワインの世界はいたってシンプルでした。産地はナパとソノマが2大横綱。あとはサンタバーバラなどいくつかの地名を押さえておけばちょっとした通を気取れました。品種も赤ならカベルネ・ソーヴィニヨンとメルロとピノノワール、それにジンファンデルを覚えておけばオーケー。白はシャルドネとソーヴィニヨン・ブランの2つで充分。収穫年(ヴィンテージ)による味の違いなど耳にしたこともありませんでした。バー目黒川のトイレ前の廊下の壁にカリフォルニアの地図が貼ってありました。ワイン産地の位置と名前がわかるようにパステルカラーで色分けされた、よくある地図です。トイレに立つたびに、いま飲んでいるワインの産地を地図の上に探すのは酔った頭には一苦労でしたが、心躍る作業でした。
赤ワインの、煮詰めた果実のような甘みと凝縮感はカリフォルニアの強烈な日差しそのものでした。白ワインは無邪気なほどにフルーティで、西海岸の底抜けに陽気な人びとを思わせました。「旨い!」と叫びたくなるようなワインはいくつもありましたが、後に他の産地のワインを飲んで経験するような「神秘」や「内省」や「妖艶」には出会えませんでした。ともあれ、飲み続けるうちに、品種毎の特徴の違いが理解できるようになりました。カリフォルニアで使われているぶどうは大半がいわゆる国際品種の代表格です。それらの香りや味を体で覚えたことで僕のなかに基準ができことが、その後、世界中のワインと知り合っていく際に大きな助けとなりました。
また、毎日のように継続的にワインを飲み続けたことで、自分の好きなワインのスタイルがおぼろげながら見えてきたことも、その後のワインとの付き合いに大きく役立ったと思います。
ちょうどその頃は、僕が6年間ほど雑誌編集者として勤めた出版社を離れ、フリーのトラベルライターとして仕事を始めた時期と重なります。アメリカ系の航空会社の機内誌の仕事などもしていた関係で、年に2,3度はアメリカに行く機会がありました。渡米するたびに、現地の巨大スーパーマーケットや酒屋に立ち寄り、日本では見かけない銘柄を買い求めて飲むのが旅の新たな楽しみになりました。
何かに興味を持ってアンテナを立てていると、チャンスというのは自然と向こうからやってくるようです。ある日、19世紀末から20世紀初頭にカリフォルニアのワイン王と呼ばれた日本人の足跡を辿るという仕事が舞い込んできました。その日本人の名は長沢鼎といいます。旧薩摩藩の出身で、弱冠13歳にして藩の留学生として英国に渡り、後に、現地で知り合った宗教家とともに渡米。カリフォルニア州のサンタローザに落ち着いて、ぶどう畑を開き、ワイン造りを成功させました。1984年に時のアメリカ合衆国大統領ロナルド・レーガンが来日したときのスピーチで、日米をつないだ架け橋として長沢鼎の名前を出し、功績を称えたとき、その存在を知らなかった記者たちが慌てたというエピソードが残っています。長沢が開いた農場、ファウンテン・グローヴはパラダイス・リッジという名のワイナリーになって残っていました。産地まで出かけてぶどう畑に立ち、醸造施設を見学し、試飲をするという本格的なワイナリー取材はこのときが初体験でした。“ナガサワ・ヴィニヤード”の名がラベルに刷られたシャルドネの若々しい味わいはいまもはっきりと覚えています。
産地を訪ね、その風土に触れ、造り手の情熱と勤勉を目の当たりにすると、ワインへの理解がグッと深まり、愛着が倍加しました。僕と「友」との付き合いは、そのようにして一気に親密さの度合いを増していったのです。
2009年1月31日土曜日
2009年1月29日木曜日
出会いは中目黒
東京・中目黒の駅から歩いて2分くらいの目黒川沿いに、かつてバー目黒川という店がありました。バーという名が付いてはいましたがテーブル席が多く、ちゃんとした食事を摂ることもできたので、情報誌的な分類で言うと「ダイニング&ワインバー」ということになるでしょうか。
15年くらい前、友人に連れて行ってもらったのをきっかけに僕はその店に出入りするようになりました。Mさんという店主は大のアメリカワイン好きで、ワインメニューの大半はナパやソノマといったカリフォルニアのワインが占めていました。僕とワインとの「運命的な出会い」は、その店でのことだったと言えると思います。
当時住んでいた家から近かったこともあり、週に2、3回はその店に通うようになりました。最初は、友だちやガールフレンドを誘って2人で、あるいは仕事の打ち合わせにかこつけて大人数で出かけましたが、そのうちに一人でも立ち寄るようになりました。
1990年代の前半のことです。いまから思えば、80年代に起こったカリフォルニアワインの革新の波が日本にも押し寄せていた時期だったのでしょう。オーパスワン(1978年創業)やオーボンクリマ(1982年創業)といった銘柄を口にするときの店主Mさんの態度には自分が信仰する対象の名を呼ぶときのような憧れと畏敬の念が見て取れたものです。
一人で足繁く通うようになると、店での過ごし方にひとつのパターンができました。食事のラストオーダーがコールされる頃に店に入り、カウンター席でグラスワインを3杯ほど。閉店までの小一時間を店主とおしゃべりしながら過ごして、サッと引き上げるのです。このパターンにはいくつかの利点がありました。食事もつまみもなしでワインだけを楽しむことができる。つまり安上がりだということ。たまに、一日の仕事から解放されて気が大きくなった店主が、振る舞い酒を飲ませてくれること。とにかく、貧乏人のワイン道楽ですから、効率優先というわけです。終いには、お客の飲み残しをこっそり飲ませてくれたり、本来は捨てるはずのチーズの切れ端を出してくれたりしました。いま思い出すと、ちょっと屈辱的な気がしないでもないですが、それも気にならないくらい当時はワインのことを知っていく歓びが大きかったのです。
15年くらい前、友人に連れて行ってもらったのをきっかけに僕はその店に出入りするようになりました。Mさんという店主は大のアメリカワイン好きで、ワインメニューの大半はナパやソノマといったカリフォルニアのワインが占めていました。僕とワインとの「運命的な出会い」は、その店でのことだったと言えると思います。
当時住んでいた家から近かったこともあり、週に2、3回はその店に通うようになりました。最初は、友だちやガールフレンドを誘って2人で、あるいは仕事の打ち合わせにかこつけて大人数で出かけましたが、そのうちに一人でも立ち寄るようになりました。
1990年代の前半のことです。いまから思えば、80年代に起こったカリフォルニアワインの革新の波が日本にも押し寄せていた時期だったのでしょう。オーパスワン(1978年創業)やオーボンクリマ(1982年創業)といった銘柄を口にするときの店主Mさんの態度には自分が信仰する対象の名を呼ぶときのような憧れと畏敬の念が見て取れたものです。
一人で足繁く通うようになると、店での過ごし方にひとつのパターンができました。食事のラストオーダーがコールされる頃に店に入り、カウンター席でグラスワインを3杯ほど。閉店までの小一時間を店主とおしゃべりしながら過ごして、サッと引き上げるのです。このパターンにはいくつかの利点がありました。食事もつまみもなしでワインだけを楽しむことができる。つまり安上がりだということ。たまに、一日の仕事から解放されて気が大きくなった店主が、振る舞い酒を飲ませてくれること。とにかく、貧乏人のワイン道楽ですから、効率優先というわけです。終いには、お客の飲み残しをこっそり飲ませてくれたり、本来は捨てるはずのチーズの切れ端を出してくれたりしました。いま思い出すと、ちょっと屈辱的な気がしないでもないですが、それも気にならないくらい当時はワインのことを知っていく歓びが大きかったのです。
2009年1月24日土曜日
はじめに
ワインは好きですか?
「友だち」としてのワインを日々楽しみ、究めることによって、あなたは誰かの言うなりではなく、主体性を持ってワインと付き合えるようになります。確固たる自分の意思を持ってワインを選び、味や香りを評価できるようになるのです。
僕は醸造家でもソムリエでもワインショップのアドバイザーでもありません。ただのワイン好きに過ぎません。しかし、ただのワイン好きだからこそ、自由にワインについて考え、いろいろな飲み方を試し、それらについて語ることができるという部分もあると思います。先ほどヨーロッパの人びとのワインの飲み方を引き合いに出しましたが、僕は「われわれもヨーロッパ人の真似をするべきだ」などと言う気は毛頭ありません。むしろ、日本人のライフスタイルに合った、ワインの新しい飲み方を提案したいと考えています。
まずは僕自身がいかにしてワインと知り合い、親しくなっていったかをお話しします。つぎに僕が十数年の「親密な関係」から学んだ、ワインとの上手な付き合い方についてお話しします。さらに、ワインとの友情を生涯深めていくためのヒントを提案したいと思います。
さあ、さっそく始めましょう。無数のおいしいワインが僕たちと語り合うのを心待ちにしています。
どんなとき、どんなふうにワインを飲んでいますか?
ワインとの付き合いに満足していますか? もっとワインのことを知りたいけど、ちょっと敷居が高そうで気後れしているなんてことはありませんか?
僕は15年くらい前からよくワインを飲むようになり、7、8年前からはほぼ毎日飲むようになりました。ここ数年は、仕事で試飲するものを含めて、年間500種類くらいのワインを味わっています。これまでに飲んだワインの数は、同銘柄のヴィンテージ違いも勘定に入れると、3000種類くらいになるでしょうか。
ワインと深く付き合うようになって、ますますその魅力の果てしなさがほの見えてくると、僕の頭にひとつの思いが浮かんできました。それを言葉にすると、
「どうして人はもっと上手にワインと付き合わないんだろう?」
ということになるでしょうか。
度重なるワインブームを経て、ずいぶん身近な存在になったとはいえ、まだまだ多くの日本人にとってワインは、お金に余裕があってマニアックな人たちがたしなむ、高級で高尚な嗜好品というイメージではないでしょうか。
このままではあまりにもったいない。なによりも、ワインに申し訳ない。なんとかして、ワインを“特権階級”の人びとから解放し、われわれ“民衆”の手に取り戻したい。その一心から、この本をまとめることにしました。フランスでも、イタリアでも、ギリシャでも、スペインでも、ワインは人びとの普段の生活に溶け込んでいます。人びとは呼吸をするようにワインを飲み、日々ワインと共に語らい、笑い、泣き、愛を育み、思いを深め、傷心を癒し、インスピレーションを得ます。もちろん彼らが毎日飲んでいるのは有名ワイナリーの高級キュベでも、評論家や専門誌が高得点を与えたブランド・ワインでもありません。それは名もなく、手頃で、ただおいしいワイン。彼らにとってワインは——飲んだ経験を人にひけらかしたり、自らの虚栄心を満たしたりするための装飾品ではなく——友だちなのです。
もちろんワインはハレ(晴れ)の日にもふさわしい飲み物です。特別な日に、着飾って、上等なグラスで飲むワインは格別です。しかし、ふつう人は毎日をハレの日として過ごすことはできません。そんなことをしたら、お金がいくらあっても足りないでしょう。日本では、ハレの日の道具としてのワインという部分がことさらに強調されてきたのではないでしょうか? それでワインは“民衆”の手から離れ、“敷居の高い”存在になってしまった——。僕がこの本でお話ししたいのは、ケ(褻)の日のワイン、すなわちふだんの日に家で飲むワインについてです。値段でいうと、1000円台〜3000円台までのワインということになります。ケの日のワインを充分に楽しみ、究めれば、おのずとハレの日にもその経験を生かすことができ、特別な日のワインをますますおいしく味わうことができると思うのです。「友だち」としてのワインを日々楽しみ、究めることによって、あなたは誰かの言うなりではなく、主体性を持ってワインと付き合えるようになります。確固たる自分の意思を持ってワインを選び、味や香りを評価できるようになるのです。
僕は醸造家でもソムリエでもワインショップのアドバイザーでもありません。ただのワイン好きに過ぎません。しかし、ただのワイン好きだからこそ、自由にワインについて考え、いろいろな飲み方を試し、それらについて語ることができるという部分もあると思います。先ほどヨーロッパの人びとのワインの飲み方を引き合いに出しましたが、僕は「われわれもヨーロッパ人の真似をするべきだ」などと言う気は毛頭ありません。むしろ、日本人のライフスタイルに合った、ワインの新しい飲み方を提案したいと考えています。
まずは僕自身がいかにしてワインと知り合い、親しくなっていったかをお話しします。つぎに僕が十数年の「親密な関係」から学んだ、ワインとの上手な付き合い方についてお話しします。さらに、ワインとの友情を生涯深めていくためのヒントを提案したいと思います。
さあ、さっそく始めましょう。無数のおいしいワインが僕たちと語り合うのを心待ちにしています。
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