2009年1月31日土曜日

入口がアメリカだった幸運

 ワインとの付き合いのスタートがカリフォルニアワインだったことは幸運でした。もし最初の「お相手」がフランスワインやイタリアワインだったら、歴史の古さ、産地や種類のあまりの多さ、味わいの複雑さに閉口してしまって、たじろいでしまっていたと思います。
 当時、カリフォルニアワインの世界はいたってシンプルでした。産地はナパとソノマが2大横綱。あとはサンタバーバラなどいくつかの地名を押さえておけばちょっとした通を気取れました。品種も赤ならカベルネ・ソーヴィニヨンとメルロとピノノワール、それにジンファンデルを覚えておけばオーケー。白はシャルドネとソーヴィニヨン・ブランの2つで充分。収穫年(ヴィンテージ)による味の違いなど耳にしたこともありませんでした。バー目黒川のトイレ前の廊下の壁にカリフォルニアの地図が貼ってありました。ワイン産地の位置と名前がわかるようにパステルカラーで色分けされた、よくある地図です。トイレに立つたびに、いま飲んでいるワインの産地を地図の上に探すのは酔った頭には一苦労でしたが、心躍る作業でした。
 赤ワインの、煮詰めた果実のような甘みと凝縮感はカリフォルニアの強烈な日差しそのものでした。白ワインは無邪気なほどにフルーティで、西海岸の底抜けに陽気な人びとを思わせました。「旨い!」と叫びたくなるようなワインはいくつもありましたが、後に他の産地のワインを飲んで経験するような「神秘」や「内省」や「妖艶」には出会えませんでした。ともあれ、飲み続けるうちに、品種毎の特徴の違いが理解できるようになりました。カリフォルニアで使われているぶどうは大半がいわゆる国際品種の代表格です。それらの香りや味を体で覚えたことで僕のなかに基準ができことが、その後、世界中のワインと知り合っていく際に大きな助けとなりました。
 また、毎日のように継続的にワインを飲み続けたことで、自分の好きなワインのスタイルがおぼろげながら見えてきたことも、その後のワインとの付き合いに大きく役立ったと思います。
 ちょうどその頃は、僕が6年間ほど雑誌編集者として勤めた出版社を離れ、フリーのトラベルライターとして仕事を始めた時期と重なります。アメリカ系の航空会社の機内誌の仕事などもしていた関係で、年に2,3度はアメリカに行く機会がありました。渡米するたびに、現地の巨大スーパーマーケットや酒屋に立ち寄り、日本では見かけない銘柄を買い求めて飲むのが旅の新たな楽しみになりました。
 何かに興味を持ってアンテナを立てていると、チャンスというのは自然と向こうからやってくるようです。ある日、19世紀末から20世紀初頭にカリフォルニアのワイン王と呼ばれた日本人の足跡を辿るという仕事が舞い込んできました。その日本人の名は長沢鼎といいます。旧薩摩藩の出身で、弱冠13歳にして藩の留学生として英国に渡り、後に、現地で知り合った宗教家とともに渡米。カリフォルニア州のサンタローザに落ち着いて、ぶどう畑を開き、ワイン造りを成功させました。1984年に時のアメリカ合衆国大統領ロナルド・レーガンが来日したときのスピーチで、日米をつないだ架け橋として長沢鼎の名前を出し、功績を称えたとき、その存在を知らなかった記者たちが慌てたというエピソードが残っています。長沢が開いた農場、ファウンテン・グローヴはパラダイス・リッジという名のワイナリーになって残っていました。産地まで出かけてぶどう畑に立ち、醸造施設を見学し、試飲をするという本格的なワイナリー取材はこのときが初体験でした。“ナガサワ・ヴィニヤード”の名がラベルに刷られたシャルドネの若々しい味わいはいまもはっきりと覚えています。
 産地を訪ね、その風土に触れ、造り手の情熱と勤勉を目の当たりにすると、ワインへの理解がグッと深まり、愛着が倍加しました。僕と「友」との付き合いは、そのようにして一気に親密さの度合いを増していったのです。

0 件のコメント:

コメントを投稿