どんなとき、どんなふうにワインを飲んでいますか?
ワインとの付き合いに満足していますか? もっとワインのことを知りたいけど、ちょっと敷居が高そうで気後れしているなんてことはありませんか?
僕は15年くらい前からよくワインを飲むようになり、7、8年前からはほぼ毎日飲むようになりました。ここ数年は、仕事で試飲するものを含めて、年間500種類くらいのワインを味わっています。これまでに飲んだワインの数は、同銘柄のヴィンテージ違いも勘定に入れると、3000種類くらいになるでしょうか。
ワインと深く付き合うようになって、ますますその魅力の果てしなさがほの見えてくると、僕の頭にひとつの思いが浮かんできました。それを言葉にすると、
「どうして人はもっと上手にワインと付き合わないんだろう?」
ということになるでしょうか。
度重なるワインブームを経て、ずいぶん身近な存在になったとはいえ、まだまだ多くの日本人にとってワインは、お金に余裕があってマニアックな人たちがたしなむ、高級で高尚な嗜好品というイメージではないでしょうか。
このままではあまりにもったいない。なによりも、ワインに申し訳ない。なんとかして、ワインを“特権階級”の人びとから解放し、われわれ“民衆”の手に取り戻したい。その一心から、この本をまとめることにしました。フランスでも、イタリアでも、ギリシャでも、スペインでも、ワインは人びとの普段の生活に溶け込んでいます。人びとは呼吸をするようにワインを飲み、日々ワインと共に語らい、笑い、泣き、愛を育み、思いを深め、傷心を癒し、インスピレーションを得ます。もちろん彼らが毎日飲んでいるのは有名ワイナリーの高級キュベでも、評論家や専門誌が高得点を与えたブランド・ワインでもありません。それは名もなく、手頃で、ただおいしいワイン。彼らにとってワインは——飲んだ経験を人にひけらかしたり、自らの虚栄心を満たしたりするための装飾品ではなく——友だちなのです。
もちろんワインはハレ(晴れ)の日にもふさわしい飲み物です。特別な日に、着飾って、上等なグラスで飲むワインは格別です。しかし、ふつう人は毎日をハレの日として過ごすことはできません。そんなことをしたら、お金がいくらあっても足りないでしょう。日本では、ハレの日の道具としてのワインという部分がことさらに強調されてきたのではないでしょうか? それでワインは“民衆”の手から離れ、“敷居の高い”存在になってしまった——。僕がこの本でお話ししたいのは、ケ(褻)の日のワイン、すなわちふだんの日に家で飲むワインについてです。値段でいうと、1000円台〜3000円台までのワインということになります。ケの日のワインを充分に楽しみ、究めれば、おのずとハレの日にもその経験を生かすことができ、特別な日のワインをますますおいしく味わうことができると思うのです。「友だち」としてのワインを日々楽しみ、究めることによって、あなたは誰かの言うなりではなく、主体性を持ってワインと付き合えるようになります。確固たる自分の意思を持ってワインを選び、味や香りを評価できるようになるのです。
僕は醸造家でもソムリエでもワインショップのアドバイザーでもありません。ただのワイン好きに過ぎません。しかし、ただのワイン好きだからこそ、自由にワインについて考え、いろいろな飲み方を試し、それらについて語ることができるという部分もあると思います。先ほどヨーロッパの人びとのワインの飲み方を引き合いに出しましたが、僕は「われわれもヨーロッパ人の真似をするべきだ」などと言う気は毛頭ありません。むしろ、日本人のライフスタイルに合った、ワインの新しい飲み方を提案したいと考えています。
まずは僕自身がいかにしてワインと知り合い、親しくなっていったかをお話しします。つぎに僕が十数年の「親密な関係」から学んだ、ワインとの上手な付き合い方についてお話しします。さらに、ワインとの友情を生涯深めていくためのヒントを提案したいと思います。
さあ、さっそく始めましょう。無数のおいしいワインが僕たちと語り合うのを心待ちにしています。

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